ハセイプランニングができるまで
「ハセイプランニング」ができるまでの歩みのお話です。
パートから出発し、脱サラして会社を創業。今年で25年目になりました。
競争の激しい不動産・建設業。まして、まだ女性社長の少ない中、何かと会社が続けられているのは周りの方々すべてに支えられているお陰です。
地方の短大卒(国文科)で、何の資格も持たず、実家はハセイ商店という潰れかかった米屋。
家業旋盤工の夫は失業したばかりで、長男が生まれて2ヶ月足らず。貯金があるはずもなく、夫の失業保険もない…。という最悪の状態の時に、死にものぐるいで勉強し、3ヶ月で宅建主任者の資格を取りました。
そこからのスタートでした。
乳飲み子をかかえ、何とか仕事に就かなければならないと必死でした。誰でも受験出来て、申込期日に間に合って、私でも何とか合格できそうなのは「未知の世界」の不動産業必須の宅地建物取引主任者の資格しかありませんでした。
地元住宅会社のパートに採用されたのを皮切りに、働きながら業界関係の資格を取り続け、正社員、管理職と転職しながらスキルアップしてきました。その頃は、夫も生協職員という安定した仕事についていましたので特に起業しようとは全く考えていませんでした。
しかし、バブル崩壊後、トップセールスマンとして営業ノルマが厳しくなる一方の会社にはもう居られないと思い退社。先に独立した元上司や同僚が結構いたので、きっとどこでも再就職できるだろうし、今度はもっとのんびりと働けばいいと思っていました。しかし、そんな甘い世の中などなく、わたしを雇ってくれるところはどこにもありませんでした。
そこで廃業寸前の実家の片隅に3畳ほどのスペースを借りて、ハセイプランニングをスタートさせたのです。この時37歳、行政書士事務所とインテリアコーディネーター業が始まりです。
夫が安定した勤め人になっていたので、ここでも特にハードに働かなくてもいいと安易に考えていました。
でも…バブル崩壊後の厳しい環境に晒され甘い考えは一変しました。
とにかく何でも仕事を取らなければだめだと、不動産業も建設業もすべてに間口を広げました。
一貫して従業員はアシスタント1名と社長の私だけ。
つづきは、また後ほど…
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